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人の役に立つことをしなさい

人の役に立つことをしなさい

2020-04-20T08:10:01

アッラーの別名の1つにアル・ナーフィウ(裨益者)があります。だから人間も役に立つことをしなくてはいけません。「下町ロケット」というドラマを見ると、本物の技術で社会に役に立つことに誇りを持つ職人の生き様を感じます。一見するとすぐに役に立ちそうにないものでも、長期的には役に立つ、だから半端なものを作らない。本物にこだわる日本人の気質を見ました。私は日本刀と刃物の町関市で生まれ育ったのでよくわかります。この気質をイスラームの信仰に転換すれば、本物の神だけに従うことの意味がわかります。「アッラーの他にかれらが祈っていたかれらの神々は、あなたの主の命令が来たとき、かれらに何も役に立ちませんでした。そしてかれらは、ただ破滅を助長するだけでした」とクルアーン11:101にあります。本物の神はアッラーのことですが、これまでお伝えしてきたように、アッラーとは99の名前(価値)のことです。例えば、感謝すること(アル・シャクール)、保護すること(アル・ワキール)、真理を追求すること(アル・ハック)、人の役に立つこと(アル・ナーフィウ)などです。この価値は時代や場所に囚われず、ぶれることのない永遠の価値を有します。その価値を現世において体現することが、ムスリムの使命であり、アッラー(究極の価値)を信じているという意味なのです。その具体的な体現方法は、預言者の生涯から学ぶことができますが、時代や生きる環境とともに状況は変わる(そもそも日本はアラブ社会とは違う)ので、まず価値のレベルまで昇華させることが必要です。そうすれば、イスラームは時空を超えて、どの人種や民族にも役に立つ宗教なのです。

タウヒードとシルクについて

タウヒードとシルクについて

2020-04-14T23:49:25

Originally posted 2020-04-14 23:31:25. タウヒードとシルクについて タウヒードには3つの要素があります。 1)ルブービーヤ、2)ウルーヒーヤ、3)アスマー・ワ・スィファー 1)ルブービーヤ(ラッブ:神の行為をする存在:創造や養育など) アッラーが全てのものの唯一の主であり、所有者であること。善や悪も害や益も全てアッラーからのものであり、かれが唯一の創造主であり、かれが全世界の唯一の管理者であること。人間はその天性によって、またこの世を注意深く観察することによって、タウヒード・アッ=ルブービーヤを認めることができます。しかしタウヒード・アッ=ルブービーヤを認めるだけでは、アッラーへの信仰とその懲罰からの救いにまでは至りません。というのもそれは、イブリース(悪魔)やムシュリク(偽信者)たちすらも認めていたことなのです。無明時代にも人々は創造主としてのアッラーを信じていましたが、他に多神も崇拝していました。 かれは全てを包囲される御方であり、全ての事柄を適切に定める御方であり、全てのものを支配する御方であり、全てのものの所有者であられる唯一なる御方です。「大権を掌握なされる方に祝福あれ。本当にかれは全てのことに全能である」(67章1節) 2)ウルーヒーヤ(イラー:崇拝される存在):ラーイラーハ・イッラーッラー アッラーのみが崇拝されるにふさわしい唯一の方であり、そこにおいてかれに並ぶものは存在しないこと。かれの他に崇拝されるもの全てのものは虚無であること。ドゥアー(祈願)やサラー(礼拝)、畏怖や願望などあらゆるイバーダ(崇拝行為)においてアッラーのみを対象とすることです。タワックル(身を完全に委ねること)や畏怖や願望の念、また犠牲や誓いなどあらゆるイバーダ(崇拝行為)はただアッラーに対してのみ向けられなければならず、何か別のものに逸らせてはならないということ。そしてイバーダ(崇拝行為)をアッラー以外の何ものかに対して向ける者は、ムシュリク であり不信仰者であるということ。「そして(その正当性に)何の論拠もない他の神をアッラーに並べて祈願する者の報いは、かれの主(アッラーのこと)の御許にある。本当に不信仰者たちには勝利はない」(23章117節)ウルーヒーヤはルブービーヤを必須条件とします。つまりアッラーのみを崇拝し、かれに何ものをも並べない者は、アッラーが彼の主であり、創造主であり、支配者であることを既に確信していることになるのです。 ルブービーヤとウルーヒーヤはその意味が異ります。つまり前者の語根である「アッ=ラッブ(主)」は養育者、所有者、支配者という意味ですが、後者の語根「アル=イラー(崇拝される存在)」は、真に崇拝される権利を有する唯一のもの、という意味です。言いなさい。「御加護を請い願う。人々のラッブ(主)、人々の王、人々のイラーに」(クルアーン114:1-3) ジャービルは言いました:「預言者のもとに男がやって来て、言いました。アッラーの使徒よ、2つの確実なことは何か?」すると預言者は言いました:アッラーと共にいかなるものも並べずに死んだ者は天国へ入り、アッラーに何ものかを並べて死んだ者は地獄に入るということだ」(ムスリムの伝承)93 アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アル=アースによると、アッラーの使徒は言いました。「アッラーの預言者であるヌーフは、彼の死期が近づいた時に息子に言った。私はお前に遺言を伝える。私はお前に2つのことを命じ、2つのことを禁じよう。私はお前に、アッラー以外に崇拝すべきものはなしの言葉を命じる。本当に7層の天と7層の大地が秤の一方に置かれ、もう一方にアッラー以外に崇拝すべきものはなしの言葉が置かれたとしても、アッラー以外に崇拝すべきものはなしの言葉の方が重いのである。また、崇高なるアッラー、かれを称えますという言葉である。実にそれはすべての祈願であり、それによって被造物は糧を得る。そして私はお前にシルクと傲慢さを禁じる」(アル=ブハーリーの伝承) タウヒードの対義語がシルクである。つまりシルクとは、アッラーに対し、ルブービーヤ、ウルーヒーヤ、アッラーの美名と特性において同位者や関与者をおくことです。そして審判の日にムシュリクとしてアッラーに会うことになれば、アッラーはその人物を赦しません(4章48節、4章116節) ムスリムは自分に限ってシルクを犯すことなどないと思っているかもしれません。でもムスリムは必ず大きなチャレンジに直面します。 アッラーに対してシルクを犯すことは、最大の罪悪です。アッラー以外のものを崇拝するものはイバーダ(崇拝行為)を間違った形で行い、それを本来ささげるべき御方以外のものに捧げているからです。 アブー・バクルは伝えています:「預言者はこう3回繰り返し言いました:大罪の内でも最大のものを教えようか?(人びとは)言いました:はい、アッラーの使徒よ。(預言者は)言いました;アッラーに対してシルクを犯すこと、そして親不孝だ。そして(預言者は)座ると、寄りかかってこう言いました:そして嘘である」(アブー・バクルは)言いました(アル=ブハーリーとムスリムの伝承) シャイターン(悪魔)を崇拝することは、シルクと不信仰へと導く法・制度に従うということです。アッラーは、この人類の敵に対して、次の御言葉で私たちに警告なされています。アーダムの子孫よ、悪魔に仕えてはならないと、われはあなたがたに命令しなかったか。かれはあなたがたの公然の敵である。アーダムの子孫よ、悪魔に仕えてはならないと、われはあなたがたに命令しなかったか。かれはあなたがたの公然の敵である。あなたがたはわれに仕えなさい。それこそ正しい道である。(クルアーン36:60-61) シルクとはイバーダ(崇拝行為)そのもの、あるいはその一部をアッラー以外のものに捧げることを意味します。例としては死人やジン(霊的存在)、シャイターン(悪魔)など、アッラー以外の何ものかにドゥアー(祈願)したり、誓いを立てたりすることや、アッラー以外にはその権能を有しないものに富の獲得や病からの治癒、あるいは必要事や雨天の到来などを頼んだりすることが挙げられます。無知な者たちは、聖者や正しく偉大であった人物の墓や、または木や石などからできた偶像に対してこれらのことを行います。 ②タワックル(自らの身を完全に委ねること)におけるシルク:全ての事柄と状況においてアッラーにタワックルすることは、アッラーのみに対して純粋な形で行わなければならない、最も偉大なイバーダ(崇拝行為)の1つです。それゆえ、アッラーのみが権能を有されるもの-つまり害悪の駆除や利益、糧の獲得など-において、アッラーを差し置いて死者や不在者などにタワックルする者は大シルクを犯していることになります。至高なるアッラーはこう仰せられています:そしてあなた方が信仰者であるのなら、アッラーにこそタワックルするのだ。(クルアーン5:23) 「ターグート」はアッラー以外に崇拝されるあらゆるもの。本当にわれら(アッラー)は、各々の民に使徒を遣わして、「アッラーを崇拝し、ターグートを避けなさい」と命じた(16章36節) ターグートとは、偶像などのような崇拝の対象であれ、占い師やえせ学者などのように人びとが依拠・追従する人たちであれ、あるいはアッラーへの服従から逸脱した王族、官僚や首長などの支配層たちであれ、アッラーのしもべがそれらにおいてタウヒード信仰の規範を超えてしまっている全ての対象を指す。 ターグートの代表的なものは5種類です: ①イブリース(悪魔) ②崇拝され、そうされることに満足する者 ③人びとを自らの崇拝へといざなう者 ④不可知の領域に関する知識を有すると主張する者 ⑤アッラーが啓示されたもの(イスラーム法規定)以外のもので裁く者 「アッラーは信仰する者の守護者で、暗黒の深みから、かれらを光明の中に導かれる。信仰しない者は、邪神〔ターグート〕がその守護者で、かれらを光明から暗黒の深みに導く。かれらは地獄の火の住人である。永遠にその中に住む」(2章257節) アブーフライラが伝えたところによると、アッラーの使徒は言われた:アッラーの影の他には影がないその(審判の)日、かれは(次の)7人をご自分の影に入れる。公正なイマーム、アッラーを信仰する中で成長した青年、マスジドに心がつながっている人、アッラーのために互いを愛し、アッラーのために集い、そしてかれのために分かれる2人、1人きりでアッラーを想い、両目から涙が溢れる人、地位と美貌を持つ女性に声を掛けられても「私はアッラーを恐れる」と言う人、左手が右手の行なった施しに気付かないほどに隠れて施しを行なう人である(ティルミズィー2391) 3)アスマー・ワ・スィファー アッラーのみが究極の属性を有し、あらゆる短所や欠陥から無縁で完璧であること(20章8節)

進化論の論理的限界

進化論の論理的限界

2020-04-14T23:49:24

Originally posted 2020-04-14 23:31:24. 宇宙の起源と人類の起源をめぐって 1983年にテキサス工科大学の古生物学者シャンカール・チャタジーはProtoavisプロトアビスという鳥類の化石を見つけました。これは始祖鳥よりも7000万年前の化石で、最初の恐竜と同時期に鳥が生きていたことがわかったのです。つまり恐竜から鳥に進化したという話は間違いであったことが判明したのです。ある人はこう言います。ならば鳥が進化して恐竜になったと。しかし、進化したはずの恐竜が絶滅して、進化前の鳥類はまだ今も生存しているのはなぜでしょうか?また魚類から両生類に進化したという話があります。魚のヒレが足になったという話です。でも実際の化石は、両生類の化石の方が魚類よりも下の地層から見つかっているのです。 進化論の内容には論理的不整合があります。キリンの自然淘汰について考えてみましょう。 自然淘汰とは生存していることと同じ意味です。キリンは今も生存しているからこそ、首が長いのは高いものを食べるために適応したのだと事後的に言えるだけです。それは同時に、初めからキリンは首が長くして生存しいたのだということも言えるわけです。高いところにあるものを食べるのであれば、木を登れる特殊な足が発達してもよかったわけです。首が長くなくても生き残っている動物はたくさんいます。でもなぜ首が長くなったのか?これに科学者は答えられません。これは科学で扱える範疇にないからのです。実際、キリンはある時期の地層からすでに首の長い化石で発掘されています。 生物学者のトーマス・ハクスリーは「種における大規模な変化は何千万年もかかって起こり、その中でも本当に大規模なものは1億年程度かかる」と述べています。しかし、人間はわずか600万年の間に数回の大きな突然変異をしているのです。 例えば、20万年前に出てきたとされるホモサピエンスは、突如として現われ、脳の容量は1400ccで北京原人より50%増しています。北京原人は言語をもちません。脳の容量は950ccしかなく、ホモサピエンスの競合相手という感じではありません。大規模な進化は何千万年もかかる進化論に反しています。北京原人とホモサピエンスの中間の生物の骨は発見されていません。フランスのセザール島の洞窟から発見されたものから、ネアンデルタール人とクロマニヨン人が戦うことなく、互いに近いところで何千年もくらしてきたことがわかっています。 美しい着物を見たときそれがある日偶然に出来上がったと思う人はいません。では、同様に美しい孔雀の模様を見たとき、それがなぜ偶然に出来上がったと考えるのでしょうか?偶然とはやみくもに進む力です。わけのわからない、行き当たりばったりの、そんな盲目的な力に、多種多様で高度なシステムからなる生物界を生みだす力はありません。だから、創造主はいると考えられるのです。

ムスィーバ(災害・災難)にどのように対応するか?

ムスィーバ(災害・災難)にどのように対応するか?

2020-04-14T23:49:23

Originally posted 2020-04-14 23:31:23. 本日のフトバのトピックは、ムスィーバ(災害・災難)にどのように対応するか? ムスィーバとは災害や災難のことです。 日本においても新型コロナウイルスの拡大が懸念されている毎日ですが、私たちはアッラーに目を向け、彼の助けを求め、忍耐強く、アッラーの命令以外には何も起こらないことをもう一度意識する必要があるでしょう。もちろん、私たちは感染した人やすでに亡くなった人の遺族の気分を悪くさせたり、彼らがすべて罰せられていると主張したりすることはありません。個人的なものであれ国家的なものであれ、すべての災害は、罰または慈悲の手段となる可能性があります。イスラームは日本を含め世界中の人々に希望を与えます。イスラームは私たちのためにお守りの祈り(ドゥア)を与えます。 私たちが恩恵を受けるドゥアのリストがあります。私たちの日常生活の中でこれらを学び、実践するために少し時間をかけましょう。 No.1: إِنَّا لِلهِ وَإِنَّا إِلَيْهِ رَاجِعُونَ ، اللَّهُمَّ أْجُرْنِي فِي مُصِيبَتِي ، وَاخْلُفْ لِي خَيْرًا مِنْهَا 「私たちはアッラーに属し、彼に帰ります。アッラーよ、私の苦しみを償い、より良いものに置き換えてください」 Muslim 918; Abu Dawud 3119, At-Tirmidhi 3511 and Ibn Majah 1598 この嘆願をアッラーと言う者は誰でも、アッラーはそれをより良いものに置き換えるでしょう。 No.2: بِسْمِ اللهِ الَّذِي لَا يَضُرُّ مَعَ اسْمِهِ شَيْءٌ فِي الْأَرْضِ وَلَا فِي السَّمَاءِ وَهُوَ السَّمِيعُ الْعَلِيمُ 「アッラーの御名において、彼の御名なくしては、地球にも天にも害を及ぼすことはありません。彼は全聴者、全知です」 […]

聖書に記された禁酒

聖書に記された禁酒

2020-04-14T23:49:22

Originally posted 2020-04-14 23:31:22. レビ記10章9節;申命記29章6節;士師記13章4、7、14節;第1サムエル記1章15節;イザヤ5章11、22節;24章9節;28章7節;29章9節;ミカ書2章11節;ルカによる福音書1章15節など多数ある。 箴言20章1節 「酒は人をあざける者とし、濃い酒は人をあばれ者とする、これに迷わされる者は無知である」 箴言23章29-31節 「災ある者は誰か、憂いある者は誰か、争いをする者は誰か、うるさい者は誰か、理由なく傷をうける者は誰か、赤い目をしている者は誰か。酒で夜をふかす者、混ぜ合わせた酒を求める者である。酒は赤く、杯の中に泡立ち、なめらかにくだる、あなたはこれを見てはならない」 民数記6章1-3節 「主はモーセに言われた、イスラエルの人びとに言いなさい、男または女が、ナジルとして身を主に聖別する特別な誓願をするならば、ぶどう酒と発酵酒を断ち、ぶどう酒からできた酢、または発酵酒からできた酢を飲んではならない」 キリスト教のホームページサイトhttps://www.gotquestions.orgから抜粋すると、「クリスチャンが絶対に避けるべきことは、酒に酔うこととそれに依存するようになることなのです(エペソ5章18節;第1コリント6章12節)。酒に酔うことと依存することは罪です。(中略)アルコールとその影響についての聖書の警告、大量に飲むことになる誘惑、他の人をつまずかせる可能性、などを考えると、クリスチャンは、完全にアルコールを避けるのが普通は一番だと言えるでしょう」とある。

なぜ豚肉は禁止なのか?

なぜ豚肉は禁止なのか?

2020-04-14T23:49:21

Originally posted 2020-04-14 23:31:21. なぜ豚肉は禁止なのか? → クルアーンで禁じられているから = 人間に良くないから 6:145「言いなさい。わたし(ムハンマド)に啓示されたものの中には、食べる人に食用が禁じられたものはありません。ただし、死肉、流れ出る血、豚肉は実に不浄(リジュス)なもの、またはアッラー以外の名を唱えられ(屠畜された)非法なものは別として(禁じました)。ただし必要に迫られ、故意でもなく過剰でもない場合は、誠にあなたの主はよく赦すお方で、慈悲深いお方なのです。 旧約聖書レビ記11章7-8節「豚、これは、ひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである。あなたがたは、これらのものの肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。これらは、あなたがたには汚れたものである」 豚は牛や鶏と違い、糞尿や死肉や腐肉やゴミを食べる雑食、反芻しないので大量の毒素が溜まる。 カンピロバクター、リステリア、他の食中毒原因菌による汚染の可能性大。豚肉はすぐに腐敗して、伝染病の原因になりやすい。生肉の状態や加熱が行き届いてない状態で豚肉を食べると、豚ヘルペスウイルス、E型肝炎、旋毛虫症、有鉤条虫感染症などにかかるリスクが大きいから。

クルアーンのメインテーマ

クルアーンのメインテーマ

2020-04-14T23:49:20

Originally posted 2020-04-14 23:31:20. クルアーンのメインテーマは、アッラーの創造計画と究極の顛末(復活、審判、楽園、地獄)について人びとに気づかせることです。このアッラーの計画によれば、人間は「永遠の存在」として造られました。アッラーは人間の人生を死前と死後の2期間に分けました。死前の期間において人間は、試練にあります。死後の期間において人間は、報奨を受けるか、懲罰を受けます。死前は一時的な期間ですが、死後は永遠に続くのです。 クルアーンは、あらゆる人びとに知的革命をもたらすことを主眼にしています。多くの節は私たちを取り囲む自然現象の背後にある存在(アッラー)を察知するよう、人間の知性に働きかける内容になっています。例えば、アッラーの印(自然現象や奇跡)について、タファックル(黙想・熟考)、タダッブル(考察)、タワッスム(察知)するよう、クルアーンは人類に呼びかけているのです。 熟考すべき書物 クルアーンは法律書ではなく、アッラーの印について熟考・考察・察知するための書物です。それは人間の精神的自立や人類の和の基本的な教えについて語っており、預言者ムハンマドの人生において具体的に体現されました。クルアーンの教えに基づく具体的な行動について知りたければ、預言者ムハンマドの人生(預言者伝)を学びますが、クルアーンの教えについて知りたければ、クルアーンを熟考するのです。 クルアーンの基本的な教えの1つに多宗教の共生があります。例えば「あなた方には、あなた方の宗教があり、わたしには、わたしの宗教があるのです」(109章6節)と記されています。自らの宗教を守り、他の宗教を尊重する教えです。これは多宗教の共生に欠かせない非暴力の原理です。 社会生活については、アッラーが全ての人間に「生まれながらにしての自由」を与えたという教えがあります。ただし、人間は自由であるからこそ、抑制ある生活を必要とします。なぜなら、各人が自分勝手に生きれば、利害の衝突は避けられず、社会生活は破壊されてしまうからです。クルアーンにはこう記されています。「魂とそれを形成した方(アッラー)にかけて、そしてそれ(魂)に背信と篤信を授けた方(アッラー)にかけて。それを清める者は確かに成功し、それを汚す者は滅びます」(91章7-10節) クルアーンの中で114回も繰り返されている言葉に「慈悲あまねく、慈悲深いアッラーの御名において」があります。全ての行為には始めがあります。何かを始めるときにはアッラーの御名を唱えることがクルアーンのスタイルです。これによって人びとは、アッラーが慈悲に満ち溢れていることを思い出すのです。 精神的自立と人類の和 クルアーンの教えは大きく2つにまとめられます。(1)唯一神(アッラー)のみを信仰行為の対象とすること(2)神の下において全ての人間は平等で、対等の権利を有することです。つまり、唯一神とつながることによる個人の精神的自立と、正義の確立を目指す人類の和が基本教義なのです。 クルアーンいわく、アッラーは人類に数え切れないほどの恵みを与えました。だから人間は、アッラーからの恵みに対して感謝すべきなのです。人間は何よりもアッラーを敬愛して畏怖すべきであり、自らの言動に責任を負っているのです。クルアーンは自省と人格の成長を促します。他人の破滅につながる暴力を命じることは一切ないのです。 全人類への啓示 この現世は、人びとがアッラーの意志に従って生きていけるかの試練の場であり、あらゆる言動が正確に記録される場でもあります。クルアーンによれば、アッラーの御元に楽園はあり、アッラーへの信仰に誠実な人やアッラーのしもべたちに優しく愛を持って接する人だけが楽園を許されます。ある人が永遠の楽園の住人に値するかは、現世におけるその人の言動が決め手となるわけです。したがって、憎悪、殺害、暴力はアッラーの意志とは合わない類のものです。憎しみには愛を、暴力には平和を持って解決することがアッラーの意志なのです。

損失者とは誰か?

損失者とは誰か?

2020-04-14T23:49:19

Originally posted 2020-04-14 23:31:19. クルアーン18章の引用より 18:103.言いなさい。わたしたち(ムハンマドや信者たち)があなた方に、行ないにおける(最大の)損失者について伝えましょうか。 104.(つまり)現世の生活におけるかれらの努力が(正道から)逸れているのに、かれらは自分では正しいことをしていると考えている人たちです。 105.これらの人たちは、かれらの主(アッラー)の印とかれ(アッラー)との会見を信じない人たちです。だからかれらの行ないは、無益となります。そしてわれら(アッラー)は審判の日、かれらのために目方をまったく与えないのです 。 106.それがかれらの応報、つまり地獄なのです。なぜならかれらは信仰を拒否し、わたし(アッラー)の印やわたしの使徒たちを笑い草にしたからです。 107.確かに信仰して善行に励む人たち、かれらには住みかとして天国の楽園 があります。 108.かれらはそこに、永遠に住みます。かれらはそこから移動することを望まないでしょう。

復活の日とは?

復活の日とは?

2020-04-14T23:49:18

Originally posted 2020-04-14 23:31:18. クルアーン75章 1.われは、復活の日にかけて誓います。2.また、自分を責める魂にかけて誓います。3.人は、われらがその骨を集めないと考えるのでしょうか。4.いや実は、われらはかれの指先まで整えることが出来るのです。5.だが人は、先々のことを否定したがるのです。6.かれは、復活の日はいつですかと尋ねるのです。 7.目が眩(くら)み、8.月は欠け出し、9.太陽と月は合わせられます。10.その日、人はどこに逃げようかと言います。11.いや、いや、決して逃げられないのです。12.あなたの主の御元にしか、その日に戻るところはないのです。13.その日、人はすでに行なったことと、後にやり残したことについて知らされるでしょう。14.いや、人は自分自身に対し明白な証人なのです。15.たとえいろいろ弁解を並べても。 16.(アッラーからの啓示で)あなたの舌を動かすのに、急いではいけません。17.それを集め、それを読ませるのは、わたしの仕事です。18.それでわたしがそれを読んだ時は、その読誦に従いなさい。19.それを解き明かすのも、わたしの仕事です。 20.いや、あなた方は移ろいやすい現世を愛して、21.来世を無視します。22.その日、ある人たちの顔は輝き、23.かれらの主を仰ぎ見ます。24.またその日、ある人たちの顔は暗く、25.背骨がどうかされてしまうこと(ひどい災厄)に、気づくのです。 26.実際のところ、(魂が)鎖骨に届く時、27.言うでしょう、誰か呪文(で解決)できないものかと。28.その人は、最後の離別(の時)と悟るでしょう。29.(埋葬時のように)ひとつの脚は他方の脚に重ねられ、30.その日かれは、主の下に行かせられます。31.(それでも)かれは真実を受け入れず、また礼拝もあげません。32.それどころか、真実を否定し、背き去り、33.自慢げに大手を振って、家族のところに帰って行きました。 34.あなた(多神教徒)に(復活の日は)近く、それからまた近くなる。35.そしてさらに、あなたに近くなり、さらに近くなるのだ。36.人は、放免されると思うのですか。37.(初めは)かれは放出された、一滴の精液ではなかったのですか。38.それから一塊の血となり、さらにアッラーが形作り整えられ、39.かれは、人を男と女の両性にされたのではなかったでしょうか。40.それでもかれには、死者を復活させる能力がないのでしょうか。

故人のためのジャナーザ礼拝

故人のためのジャナーザ礼拝

2020-04-14T23:49:17

Originally posted 2020-04-14 23:31:17. サヒーフムスリムによると、アーイシャは伝えています。 預言者は「亡くなったムスリムのために百人もの同胞達が、その者のために執り成し(シャファーア)の祈りを捧げれば、その執り成しは受け入れられる」と申されました。アブドッラー・ビン・アッバースは伝えています。 彼の息子が亡くなりました。彼はクライブよ、彼(死者)のためにどのくらいの人々が集ってくれたか見てみよ」といった。クライブは「それで私は外に出た。すると既に多数の人々が集っていたので、そのことを彼に告げた」と言いました。 イブン・アッバースは「お前は、人々が四十人はいると思うか」と言いました。クライブは「はい」と答えました。その時イブン・アッバースは「遺体を運び出すが良い。私はアッラーのみ使いがアッラー以外にいかなる神も認めぬ者達が四十人、亡きムスリムのため礼拝を捧げれば、必ずやアッラーはその者に対する執り成し(シャファーア)を受け入れて下さると申されるのを開いた」と言いました。

酒癖が悪い人は酒で失敗する

酒癖が悪い人は酒で失敗する

2020-04-14T23:49:16

Originally posted 2020-04-14 23:31:16. モト冬樹 酒癖がきわめて悪い人は必ず酒で仕事を失敗する…飲酒で激変する人物  タレントのモト冬樹(66)が27日に更新したブログで、「酒癖がきわめて悪い人」について記し、「必ず酒で仕事を失敗する」と長い人生経験から持論を述べた。 モトは「合法なものと違法なもの」と題したブログで、「世の中には 合法とされているもの 違法とされているものがある」とし、「違法なものは麻薬とか覚醒剤とかマリファナとか これは法律で禁止されているので間違いなくやってはいけないものだ」と薬物等に関わることが法に触れる行為であるとの認識を示した。 続けて「しかしお酒に関しては合法だ」と飲酒について触れた。その上で「合法といっても人によっては考えもんだ」とし、「アルコールを分解できない人や 酒乱の人 酒癖の悪い人 酒乱の人などはある一定以上の量を越えた時 豹変する」と飲酒によって言動が激変する人物がいることを訴えた。 モトは「俺もいままでそんな人に何回か遭遇しているが まるで別人になる 平気で暴力をふるったり 暴言をはいたり」と記し、「酔いが覚めたあと 本人はそのことをまったくおぼえていないから始末悪い」と対応の難しさを指摘した。 続けて、「酒乱はほとんど病気だと思うが あと酒癖がきわめて悪い人 いきなり強気の発言をしたり上司を平気で殴ったり こんな人は必ず酒で仕事を失敗する」と経験から記した。モトは「要するに法律的には合法でも 本人の体にとっては違法なんだよな こんな人は自分のために絶対に酒を飲むべきではない」と付け加えた。 モトは「自分だけどうにかなるならいいけど 他の人に迷惑かけてしまうから 合法のものでも自分にとって良いか悪いかを判断できるのは 自分しかいなんだから」と締めくくった。 https://www.daily.co.jp/gossip/2018/04/28/0011206405.shtml?pg=2

復活の日とは?

復活の日とは?

2020-04-14T23:49:15

Originally posted 2020-04-14 23:31:15. 復活の日についてクルアーン75章1-19節に描写があります。 1.われは、復活の日にかけて誓います。2.また、自分を責める魂にかけて誓います。3.人は、われらがその骨を集めないと考えるのでしょうか。4.いや実は、われらはかれの指先まで整えることが出来るのです。5.だが人は、先々のことを否定したがるのです。6.かれは、復活の日はいつですかと尋ねるのです。 7.目が眩(くら)み、8.月は欠け出し、9.太陽と月は合わせられます。10.その日、人はどこに逃げようかと言います。11.いや、いや、決して逃げられないのです。12.あなたの主の御元にしか、その日に戻るところはないのです。13.その日、人はすでに行なったことと、後にやり残したことについて知らされるでしょう。14.いや、人は自分自身に対し明白な証人なのです。15.たとえいろいろ弁解を並べても。 16.(アッラーからの啓示で)あなたの舌を動かすのに、急いではいけません。17.それを集め、それを読ませるのは、わたしの仕事です。18.それでわたしがそれを読んだ時は、その読誦に従いなさい。19.それを解き明かすのも、わたしの仕事です。

名誉の保護と陰口の禁止

名誉の保護と陰口の禁止

2020-04-14T23:49:14

Originally posted 2020-04-14 23:31:14. 名誉の保護と陰口の禁止についてお話しします。 アル・ブハーリとムスリムによれば、アブ・バクラは次のように伝えました:預言者は最後の説教でこう言いました。「確かに、あなたの生命、財産、名声は不可侵です。 また、アル・ブハーリとムスリムによると、預言者は次のように語りました。 「互いにうらやんだり、人為的に価格を上げたり、互いを嫌ったり、互いに背を向けたり、互いを損なったりしないでください。アッラーの僕よ、兄弟たちよ。ムスリムは他のムスリムの兄弟です。互いを悪く扱ったり、失望させたり、軽蔑したりしてはいけません。アッラーを意識する心(タクワ)がここにあります」と彼は胸を3回指しました。「ある人がムスリムの兄弟を軽蔑するのは十分な悪です。あるムスリムは、別のムスリムの血、財産、名誉にわたるすべてを犯してはいけないのです」 名誉(アル・イルドゥ)の保護は、アラビア文化の中心的な概念です。 ティルミズィによると、アブー・ダルダーが次のように伝えました。誰でもムスリム兄弟の名誉を守る者は、復活の日、アッラーが彼の顔を地獄の火から守ってくださるでしょう。 イスラーム法の目的(マカーシド・アルシャリーア)は5つの必須なものを保護することを目指しています。5つの必須なものとは、宗教、心、魂、財産、名誉です。名誉は人生における5つの必須なものの1つです。だから、ある人の欠点や至らない点(間違いや罪)からその名誉を保護することを保証します。学者たちは、イスラームなくしては、人間はそれら5つを失うことで混乱に陥っていたと指摘します。 陰口は大罪です。アッラーがクルアーン49:12でいわく、 「信仰する人たちよ、何としても邪推するのは避けなさい。それには罪になるものもあります。また互いにスパイ行為をし、また陰口してはいけません。誰が死んだ兄弟の肉を食べるのを好むでしょうか。いいえ、あなた方はそれを忌み嫌うはずです。アッラーを意識しなさい。アッラーは改心を受け入れる方であり、慈悲深い方です」 陰口を言うことで、あなたが嘘つきになるかもしれません。 ムスリムのハディースによると、預言者(アッラーの祝福と平和が彼の上にある)は、陰口の明確な定義を与えました。彼は言いました。「あなたは陰口が何であるか知っていますか?」彼らは言いました。「アッラーとその使徒が最もよく知っています。彼は言いました。「あなたがあなたの兄弟について、彼が嫌いなことを言うときです。彼らは言いました。私が私の兄弟について言うことが真実ならどうでしょうか。彼は言いました。「もしそれが真実なら、あなたは彼について陰口をしたことになるのです。そしてもし真実でなければ、あなたは彼について重大な嘘をついたことになります」 もちろん、イスラーム法の学者たちは、6つのケースにおいて批判は陰口ではないと言っています。ひどく扱われたことに不満を表明すること、ある人を特定すること、ある人について注意を促すこと、悪事を暴くこと、ファトワを求めること、悪を取り除く助けを求めることです。 人々は、他人の動機や行動について疑うことや推測を控え、間違っていることと、意見の違いや解釈の違いを区別しなければなりません。推定無罪です。例えば、ある事件が起きた時、それを両方側の意見をじっくり聞いて分析する必要があるのです。一方の意見だけ聞いて、相手が悪いというのは正しくありません。 したがって、根拠のない疑いや悪い感情に基づく批判は、中傷された人を傷つけるだけでなく、コミュニティの不和やムスリムの分裂を引き起こすため、ハラームです。 陰口と疑いに対する預言者からの厳しい警告があります。もし本人があなたの言った陰口を聞いたなら、あなたの兄弟に謝り、赦しを願うことを急いでください。彼が陰口について聞いていないなら、あなたはアッラーの赦しを求め、あなたの兄弟のために祈るべきです。 アル・ジルジャーニは次のように述べています。陰口とは、ある人がいないところで、その人の陰口をいうことです。それが真実でない場合、それは重大な嘘であり、それが彼の面前で言われている場合、それは侮辱なのです(ここがとても重要) 預言者は言いました。「ムスリムを侮辱することは、邪悪な行為であり、ムスリムと戦うことは不信仰を意味します」イスラームでお酒が禁止されている理由の一つは、陰口や侮辱を予防するためにあるかも知れません。なぜなら酔っ払うと、何を話しているかわからなくなるからです。飲み会の話のほとんどは、人の話だとも言われています。 では解決策は何か? 問題があれば、問題がある当事者間の間で解決することです。それができなければ公式に裁判をすることです。 自分のことを相談することは問題ありません。しかし、他人の陰口を言っている暇があれば、アッラーのことを思い出すことです。もしくは仕事や研究の話、天気や食べ物、ある人の良い行いを褒める方がよっぽどマシです。陰口は6つのケースを除いては、イスラームではハラームです。これはバラカのないことです。 アッラーが私たちのこのような罪から守ってくださいますよう祈ります。

クルアーン和訳1:1-7

クルアーン和訳1:1-7

2020-04-14T23:49:13

Originally posted 2020-04-14 23:31:13. 1.慈悲あまねく、慈悲深いアッラーの御名(みな)において。 2.  すべての世界の主であるアッラーに、すべての称賛を捧(ささ)げます。 3.(アッラーは)慈悲あまねく、慈悲深いお方で、 4.最後の審判の日をつかさどる方です。 5.(わたしたちは)あなただけに仕え、あなただけに助けを求めます。 6.わたしたちをまっすぐな道に導いてください。 7.その道とは、あなたが恵みを与えた人びとの道であり、(それは)怒りをかうこともなく、迷ってもいない人びとの道です。

ムスリムはナツメヤシのよう

ムスリムはナツメヤシのよう

2020-04-14T23:49:12

Originally posted 2020-04-14 23:31:12. クルアーンに記されているフルーツの木の中でナツメヤシ(アラビア語Nakhl)よりも多く記されているフルーツの木はありません。そしてナツメヤシはムスリムのシンボルとされています。サヒーフ・アル・ブハーリー70書77番で、預言者いわく「木々の中には(善において)ムスリムのような木があり、それはナツメヤシである」とあります。また別のハディースでは、預言者ムハンマドがサハーバ(教友たち)に、次の質問をしました。サヒーフ・アル・ブハーリー78書170番で、イブン・ウマルが伝えたところでは、アッラーの使徒いわく「ムスリムのような木とはどの木でしょうか。その木は毎シーズン、主(アッラー)の許しの下、果実を与え、葉が落ちないのです。私はナツメヤシを思いつきましたが、アブー・バクルとウマルがそこにいたので、私は答えることを遠慮しました。誰も答えないので、預言者は言いました。それはナツメヤシですと」あります。 ムスリムは有害ではく、有益な人です。私たちは「ムスリムとはナツメヤシのようです」と言わなければなりません。自分をナツメヤシのように成長させましょう。ムスリムは人を怒らせ、不幸にすることなく、アッラーの教えの範囲内で、人を笑顔と幸せにすることができる人です。ムスリムとはナツメヤシのようです。なぜなら、ムスリムは他人に、ナツメヤシのように長い間、利益をもたらすからです。ナツメヤシの寿命は平均して約100年とも言われています。それは人間の寿命に近いです。いつも緑の葉をつけ、長期的に果実(デーツ)を与える有益な存在なのです。 では具体的にナツメヤシの実(デーツ)はどのように人間の役に立っているのでしょうか? デーツは、さまざまな国で生産されており、種類も400以上あると言われています。もちろん色、大きさ、堅さ、湿り気、味も本当に様々です。熟度において17種類くらいの呼び名があります。例えば緑色のものはキムリ(kimri、未熟なデーツ)、赤みを帯びた黄色のものはハラール(khalāl、カリカリした)、熟したものはルターブ(rutāb、成熟してやわらかい)、完熟したものはタムル(tamr、天日で乾燥した)などと呼ばれます。 ナツメヤシはアラビア語でナクル(nakhl)は、クルアーンに20回登場します。イスラームの啓典クルアーンには、マルヤムがイーサーを身ごもった時、食べていたとして記されています。「またナツメヤシの幹を、あなた(マルヤム)の方へ揺り動かしなさい。新鮮かつ熟したナツメヤシの実が落ちてくるでしょう」(C19V25)これはナツメヤシの実、通称「デーツ」が妊婦や一般の人々にとって栄養豊富であることを示しています。デーツには少なくとも10の医学的な効用があります。 1)デーツのコレステロールの量は0(ゼロ)です。2)タンパク質が豊富、3)ビタミンが豊富:B1、B2、B3、B5、A1、Cなどのビタミンが含まれています。グルコースなどの天然糖が含まれているため、エネルギーを素早く摂取できます。4)骨の健康を改善:セレン、マンガン、銅、マグネシウムが豊富で、骨を健康に保ち、骨粗しょう症などの病気を予防します。5)神経系を強化:カリウムで脳卒中のリスクを抑えます。6)鉄分が豊富:貧血の人に効果があり、血液をさらさらにします。7)消化を促進:便秘の方に有効です。8)肌を改善:ビタミンCとDは肌を滑らかに保ちます。アンチエイジング効果があり、体内のメラニンの蓄積を防ぎます。9)体重バランスを助ける:アブドッラー・ビン・ジャーファルは言いました。「私はアッラーの使徒がキュウリをデーツと一緒にして食べるのを見た」(イブンマージャ4巻29書3325番)。実はデーツをキュウリと一緒に食べると、体重が正常に保たれると言われています。10)解毒作用:サヒーフ・ムスリム2048番によると、 アーイシャによると、アッラーの使徒は言いました。「アーリヤのアジュワのデーツは保温効果があり、これらは早朝の解毒剤です」とあります。

預言者ムハンマド最後の説教

預言者ムハンマド最後の説教

2020-04-14T23:49:11

Originally posted 2020-04-14 23:32:23. 西暦632年、預言者ムハンマドは メッカ巡礼のときに、アラファにおいて最後のフトバ説教を行ないました。   そしてこの説教が行なわれた「別れの巡礼」には、 多くのムスリムが預言者に同行していました。   この説教の内容は今でもあせることなく、 神の全人類に対する、そして人類のお互いに対する 最も重要な権利の一部について触れられています。   預言者ムハンマドは最後の説教で、 アッラーを称賛し、そしてアッラーに感謝した後、 こう言われました:   「人びとよ、よく聴きなさい。というのも私はこの年以降、 再びあなた方と共にいられるかどうか分からないのですから。   ゆえに私の言うことを注意深く聴き、 この言葉を今日この場にいない者へと伝えるのです。   人々よ、あなた方がこの月、この日、 この町(メッカ)を禁忌があると見なすように、   全ムスリムの生命と財産は(互いに)禁忌のある信託なのです。   あなた方が託された品物は、 その正当なる所有者へと返しなさい。   またあなた方が害されないよう、他人を害してはなりません。   あなた方が主アッラーに会うこと、そしてアッラーがあなた方の行ないを 全て記録していることを思い出しなさい。   またアッラーは、あなた方が利子(リバー)を取ることを禁じました。 ゆえに利子を伴う全ての義務は今後、あなた方の元本を除いて放棄されます。   あなた方は他人を害することもありませんし、 不公平を被ることもありません。 アッラーは利子の撤廃を定められ、 そしてアブドルムッタリブに関する 全ての利子も今後、撤廃されるのです。   あなた方は宗教を守るため、悪魔に注意しなさい。 かれは、大きなことにおいてはあなた方を迷わせる ことができないと絶望しています。だから小さなことにおいて、 悪魔に従うことに気をつけなさい。   人びとよ、あなた方があなた方の女性に対し、 ある権利を有しているのは確かですが、 彼女らもまたあなた方に対する権利を有しているのです。   […]

知識を探求することの重要性

知識を探求することの重要性

2020-04-14T23:49:10

Originally posted 2020-04-14 23:32:22. 慈悲あまねく慈悲深いアッラーの御名において イスラームは教えます。ムスリムは生きている限り、生涯学習者であり、知識を求めることやめてはいけませんと。知識を求めることは宗教的および道徳的義務であるだけでなく、継続的な義務でもあります。 クルアーンのターハー20:114は言います: وَقُل رَّبِّ زِدْنِي عِلْمًا 主よ、知識を増やしてください。 預言者は残りの人生の知識を求めることに費やし、この務めをすべてのムスリムの義務としました。 Sunan Ibn Majah 224、Sahihによると、 アナス・イブン・マーリクは伝えています。アッラーの使徒は言いました: طَلَبُ الْعِلْمِ فَرِيضَةٌ عَلَى كُلِّ مُسْلِمٍ 知識を求めることは、すべてのムスリムにとっての義務です。 イブン・カスィールによるタフシール・アルクルアーン・アルアズィームによると イブン・ウタイバは言いました: 「預言者は、高貴なるアッラーが、彼の魂を奪うまで知識を増やし続けました」 預言者自身が彼の死まで知識を求めていたなら、私たちはさらに学ぶ必要があるのではないでしょうか? 信仰の光は、アッラーの啓示と自然の神秘についての知識と理解のための飽くなき探究心を生み出します。私たちはアッラーの知識(ナクリ)、特にすべてのムスリムが宗教を正しく実践するために知る必要があるものを追求するべきです。私たちのコミュニティと人類全体に利益をもたらす科学的知識(アクリ)も必要です。 アル・ガザーリは、自然科学、特に医学をウンマ(ムスリム共同体)に対する集団的義務(ファルド・アル・キファーヤ)に指定しました。 対照的に、不信仰の暗闇は、魂そのものを犠牲にして、もの、お金、そして一時的な喜びに飽くことのない欲求をもたらします。 Al-Tabarani, al-Muʻjamal-Kabīr10239、グレード:Sahihによると、 Abdullah ibn Mas’udは伝えています。アッラーの使徒は言いました: 知識の探求者と現世の探求者という2つの懸念の探求者は決して満足しません。 Ṣaḥīḥ Ibn Ḥibbān 6352, Grade: Hasanによると アブー・フライラは伝えています:アッラーの使徒は言いました。 ムーサーは彼の主に尋ねました:あなたのしもべの中で最も知識のある人は誰ですか。アッラーは次の ように言いました:自分の知識に満足しておらず、自分に人々の知識を加える学者です。 知識を探求することは必要ないと考える人は、すでにどれだけ知っていても無知なのです。すべての学者は学生のままでなければなりません。そうでなければ、彼はもはや学者ではありません。 Shafi Imam al-Shayraziのal-Majmū’ Sharḥ al-Muhadhabによると、 Saeed ibn Jubairは言いました。 […]

聖書に記されたムハンマド

聖書に記されたムハンマド

2020-04-14T23:49:09

Originally posted 2020-04-14 23:32:21. https://www.youtube.com/watch?v=iIEc1Kr3sxQ イスラームの視点から見るとイエス(イーサー)はムスリムです。また偉大なる預言者であり使徒という位置付けになります。ただしイエスは神性を持った神の子ではありません。ここがキリスト教徒の信念と合わない点です。もう1点は、キリスト教徒はムハンマドを最後の預言者として認めません。イスラームとキリスト教には多くの共通点がありますが、この2点は乗り越えるのが困難な点です。つまりキリスト教徒はイスラームの最も重要な言葉「ラーイラーハイッラッラー、ムハンマダンラスールッラー(アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である)」に合意できないのです。 しかし、聖書を読むと「アッラー以外に神はなく、ムハンマドは来るべき預言者である」ことが記されています。時間の制約もあるので、本日は後半部分の「聖書に予言されたムハンマド」に焦点を当てます。ではなぜこんなことをするのでしょうか?クルアーン7章157節に次のように記されています。 「かれらは文字を知らない預言者、使徒(ムハンマド)に追従する人たちです。かれ(ムハンマド)はかれら(啓典の民)の持っている律法と福音の中に記されて見出される人です」とあります。つまり聖書の律法と福音書の中にムハンマドについて記されているとクルアーンは言っているのでそれを証明するためにお話しするのです。 もう1つの理由があります。それは昨今のエルサレム帰属問題ついて緊張が高まっているからです。これは明らかにムスリム世界に対する挑発であり、宣戦布告をしているわけです。そんなことは誰にでもわかるのです。だからこそもう一度、イスラーム、キリスト教、ユダヤ教の関係をムハンマドという共通点から見直してみたいと思ったからです。 預言者ムハンマドの出現は、ユダヤ教およびキリスト教両派がもれなく聖書正典と認める旧約聖書の申命記18章18節に次のように予言されています。「わたし(神)は彼らのためにその兄弟たちの中から、あなたのような預言者を起して、わたし(神)の言葉をその口に授けよう。彼はわたし(神)が命じるすべてのことを必ず彼らに話すであろう」とあります。重要なポイントは「その兄弟たちの中から、あなたのような預言者を起して」にあります。キリスト教徒によると「あなた」はモーセを示しており「モーセのような預言者」はイエスに他ならないと解釈します。では、どのようにイエスがモーセのようであるのかとたずねると、両者は共に預言者でありイスラエルの民だと言います。ところが同じ類似点は、イエス以外の預言者にも当てはまります。例えば、エゼキエル、イザヤ、ソロモン、ダニエル、ホシヤ、ヨエル、洗礼者ヨハネなどは、預言者でありイスラエルの民です。だから「モーセのような預言者」を1人に特定できません。さらに申命記34章10節によると「イスラエルには、こののちモーセのような預言者は起らなかった」とあるので、そもそもイエスは、モーセのような預言者になり得ません。 では、一体誰が「モーセのような預言者」なのでしょうか?「その兄弟たちの中から」に手がかりがあります。兄弟だけれどイスラエルの民でない、となるとモーセのいとこ、でもイスラエルの民ではない預言者ムハンマドが有力な候補者と考えられます。事実、モーセとムハンマドを比較すると、少なくともイエスにはない6つの類似点をあるのです。第1にモーセとムハンマドは両親の子として生まれましたが、イエスは父親なく生まれました(マタイによる福音書1章18節)。第2に、モーセとムハンマドは死後、再び地上に現れませんが、イエスの再臨については聖書に多く記されています(例えば、ヨハネによる福音書14章1-3節、マタイによる福音書16章27節、24章30節)。第3に、モーセとムハンマドは結婚して子もいましたが、イエスは結婚せず子もいませんでした。第4に、モーセとムハンマドはそれぞれ律法、シャリーアという新たな法を導入しましたが、イエスはモーセの律法を受け継ぐためにつかわされました(マタイによる福音書5章17-18節)。第5に、モーセとムハンマドは法の執行者でしたが、イエスは「わたしの国はこの世のものではない」と言って、法を執行することはありませんでした(ヨハネによる福音書18章36節)。第6に、最終的には共同体の長となったモーセとムハンマドと比べて、「自分の民は彼(イエス)を受けいれなかった」とあり、イエスは最後まで共同体の長になることはありませんでした(ヨハネによる福音書1章11節)。このような点から、イエスはモーセにほとんど似ておらず、ムハンマドが「モーセのような預言者」にふさわしいことがわかると思います。 また申命記18章18節には「わたし(神)の言葉をその口に授けよう」とあり、ムハンマドと関係していることがわかります。ムハンマドが最初の啓示を受けたとき、アッラーから「読みなさい」と言われて「読めません」と答えました。彼は文字の読み書きを知らず、アッラーは「口に」啓示を授けたと考えられます。クルアーンはアラビア語のキラア(詠む)から派生した言葉で、「読誦されるもの」という意味ですが、「口に啓示」「読誦が可能」とも解釈できるのです。 別の証拠もあります。ヨハネによる福音書14章16節には、ムハンマドが別名「助け主(Comforter)」として予言されています。「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父はもう1人の助け主を送って、いつまでもあなたがたと共に おらせて下さるであろう」とあります。キリスト教の学者は助け主とは聖霊のことであるという立場を堅持します。しかし聖書によると、助け主と聖霊は関係ありません。ヨハネによる福音書16章7節によると、「わたし(イエス)が去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それ(助け主)をあなたがたにつかわそう」とあります。ここには「助け主」がイエスの後にくると記されています。でも、聖霊はイエスの前から存在しました。ルカによる福音書1章41節によると「エリザベスがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベスは聖霊に満たされた」とあります。エリザベスの子は洗礼者ヨハネ。つまり、イエスより前に生まれた洗礼者ヨハネのときから聖霊が存在したことになるので、イエスの後にくる「助け主」は聖霊ではないことがわかります。 ではイエスの後にくる「助け主」は誰なのでしょうか?本来であれば、「助け主」の語源にまで遡ると答えが見えてきます。ところが、イエスの母語であるアラム語で書かれた単一の聖書原典が不明なので、語源をつきとめることができません。問題解決として逆に発想します。つまり、ムハンマドの語源から助け主の語源を類推するのです。なぜそんなことが可能なのでしょうか。理由は2つあります。第1に、単一のアラム語聖書原典がない以上、聖書の用語や解釈も1つではないはずだからです。第2に、前に述べた「あなたのような預言者」が、ムハンマドを示すことが論証されたからです。 クルアーン61 章6節はムハンマドを別名「アフマド」と呼んでいます。アフマドはアラビア語名詞のハムドゥ(称賛)もしくは動詞のハミダ(称賛する)の派生形で、その意味は「称賛に値する者」です。「マルヤムの子イーサーが、こう言った時を思い起せ。イスラエルの子孫たちよ、本当にわたし(イエス)は、あなたがたに(つかわされた)アッラーの使徒である。わたしより以前に律法を確証し、またわたし(イエス)の後に来る使徒の吉報を与える。その名前はアフマドである」アラビア語の「アフマド(称賛に値する者)」を聖書正典の言葉であるギリシア語に訳すとペリクリトス(PERIKLYTOS)になります。一方、聖書によると、英語の「Comforter」はギリシア語のパラクレトス(PARAKLETOS)が語源です。両単語は音声的に類似していることがわかります。聖書には多くの写本が存在し、翻訳も長年にわたって細かい改訂を重ねてきたことを考えると、ペリクリトス→パラクリトスの転訛(てんか)が生じた可能性が高いのです。 また、パラクレトスには「助け主」の他に「執り成し」や「唱道者」という別の意味もあります。ムハンマドの言行録によると、最後の審判のとき、多くの預言者の中でも、ムハンマドだけがアッラーと人間との間の「執り成し(シャファーア)」を認められると記されているので、ペリクリトスであれパラクリトスであれ、ムハンマドが「助け主」と推断できるのです。また、ムハンマドはイエスの後に来たので、「わたし(イエス)が去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこない」というヨハネによる福音書の言葉と矛盾しません。 さらに、一部アラム語の聖書原典は見つかっています。例えば、ベブライ語とアラム語の死海文書(紀元前3世紀〜紀元1世紀)、数年前にトルコで発見されたアラム語のバルナバスの福音(紀元6世紀前半)は有名です。教会はこれらアラム語の書を正典として認めていませんが、死海文書に記されたイザヤ書42章1節には次のようにあります。「わたしの支持するわがしもべのアフマド、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊魂を彼に与えた。彼はもろもろの異邦人(非ユダヤ人)に道をしめす」とあります。またバルナバスの福音の英語訳書89ページと97ページには、「ムハンマドは神の使徒」とはっきり記されています。 まとめると、聖書の申命記18章18節には、ムハンマドが「あなた(モーセ)のような預言者」として記され、またヨハネによる福音書14章16節には、ムハンマドが「もう1人の助け主」として記されているのです。そして、クルアーン7章157節の「かれ(ムハンマド)はかれら(啓典の民)の持っている律法と福音の中に記されて見出される人です」という言葉は正しいということが証明されたのです。だから関係が悪化している今こそ、キリスト教徒とユダヤ教徒に対するダワー(イスラームへの招待)が大切であり、これまで以上に必要とされていると私は思うのです。

イスラームにおける幸せの法則

イスラームにおける幸せの法則

2020-04-14T23:49:08

Originally posted 2020-04-14 23:32:20. 人間は不幸になるために生まれてきたのではありません。幸せになるために生まれてきまし た。イスラームとはアッラーを味方にする生き方で、アッラーが味方につけば、人間はこの 世とあの世で幸せになるという成功の法則でもあるのです。 クルアーン 3 章 160 節いわく「もしアッラーがあなた方を助けるならば、あなた方に打ち 勝つ人はいないのです。もしかれがあなた方を見捨てるならば、かれの他に誰があなた方を 助けることができるでしょうか。だから信者たちは、アッラーに全幅の信頼を寄せなさい」 とあります。アッラーが味方につけば、人生の最強カードを手に入れることになります。 またアッラーを味方にするとは、アッラーが喜ぶことをするということです。5 章 119 節 「アッラーは言いました。この(審判の)日は正直者が正直ゆえに得をする日です。かれら には川が下を流れる楽園があり、永遠にその中に住むのです。アッラーはかれらに満悦し、 かれらもまたかれ(アッラー)に喜悦します。これこそが大勝利(大成功)なのです」 さらに 10 章 26 節・27 節にも次のように記されています。「善行をした人には最高の報奨 があり、また追加もあります。暗さや恥辱がかれらの顔を覆うことはありません。これらの 人びとは楽園の住人で、かれらはその中に永遠に住むでしょう。でも悪を稼いできた人びと には、同等の悪の報いがあります」 つまり、アッラーが喜ぶこと(善行)をすれば、この世とあの世において良い報奨があり、 アッラーが怒ること、喜ばないこと(悪行)をすれば悪い末路があるということで、これを 「アッラーの因果応報」と呼ぶことができるのです。 アッラーの喜ばれることとは、具体的に、まずアッラーを信じることです。そしてムスリム (ムスリマ)とはアッラーの命令に従って生きる人びとのことをさします。アッラーの命令 とは、クルアーンという形で現在の私たちもその内容を知ることができます。たとえばクル アーン 2 章 177 節には、「(アッラーに)正しく仕えるということは、あなたがたの顔を東 または西に向けることではありません。正しく仕える(人びと)とは、アッラーと最後の日、 天使たち、諸啓典、預言者たちを信じ、愛着あるとしてもその財産を、近親、孤児、貧者、 旅人、物乞い、奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの施しを行ない、約束 したときは約束を果たし、また、不運や逆境、そして危機に際してよく耐え忍ぶ人びとです。 これらの人びとこそ真実(に従うところ)の人びとであり、これらの人びとこそアッラーを 注意深く意識するのです」とあります。これら善行がアッラーの喜ばれることなのです。 またアッラーの喜ぶことは、「アッラーとかれの使徒ムハンマドに従うこと」と言い換える こともできます。4 章 69 節「アッラーと使徒に従う人は誰でも、アッラーが寵愛を与えら れた預言者たち、誠実な人たち、真実の証人たち、そして正道にある人たちと一緒になるで しょう。かれらは何とすばらしい仲間でしょうか」とあります。 […]

なぜイスラームなのか?

なぜイスラームなのか?

2020-04-14T23:49:07

Originally posted 2020-04-14 23:32:19. イスラームとはアラビア語のサリマから派生した言葉で、安全・平安・平和であること、害がないこと、アッラーに従うことなどを意味します。つまりアッラーに従うことで平和や平安を実現することがイスラームなのです。  平和を実現する方法については、様々な宗教がいろんなことを言っています。では、なぜあえてイスラームなのでしょうか?例えば、学校の日本史や世界史の教科書には改訂版がたくさんあることをご存知でしょうか?私が高校生の頃、世界史のイスラーム文明のセクションでは、コーランという表記できたが、今はクルアーンに変わりました。マホメットもムハンマドに変わりました。アラビア語原語の発音に近くなることで正しさが増したわけです。辞書も同じく最新改訂版を使うのが一番いいです。 例えば、1955年に出版された有名な辞書の広辞苑は、もともとは1935年に出版された辞苑でした。辞苑か広辞苑か?選ぶとすれば広辞苑ですね。なぜなら改定されているからです。同様に、聖書におけるエローヒムについても、創造主、唯一であること、偉大であること、偶像がないことなど共通点があっても、創造主の言葉についてそれより詳しい情報があれば、当然そちらの教えがいいわけです。クルアーン以上に詳しく創造主アッラーの記された書物はこの世になく、アッラーの教えの最新改訂版であり、最後の改訂版だとムスリムは信じているわけで、だからあえてイスラームなのです。